punmoriの日記

徒然草

生きる

生きることとはどういうことだろう。

やりたいことをせず、理性的に生きて貯金はあって健康だが刺激が足らずに変化のない退屈で平凡な人生。

やりたいことをやり、感情の赴くままに生きてアル中、風俗通いによる借金、刺激的な変化のある人生。

エンドルフィン、セロトニンドーパミン

最近、巷で話題のFIREという概念がある。

40歳で労働からのアガリを目指すこと。

経済的自立の達成。

服や靴も買い換えないような節約をして、

他人との交際費も惜しんでの貯金や投資をして資産形成をするという記事を見た。

その人の人生の価値、重点はどこにあるのだろうか。

彼は北関東のロードサイド沿いの街に住んでいる。中高はクラスで目立った存在ではなかったが、かといって教室の隅で数人で固まっているおとなしめな帰宅部でもなかった。一度は彼女も出来たことがあるし、友達も普通にいた。勉強もこれといってできる方ではなかったが、赤点を取るようなこともなかった。部活はバスケ部に所属していたがベンチでチーム良くて県大会2回戦進出といった強さであった。つまり勉強も部活もこれといった特徴のない中途半端な学生であった。地元の県立高校を卒業後、東京の中堅私立大学に入学し卒業する。サークルはバスケサークルに所属したが、レベルの高さ、飲み会の多さについていけずにサボりがちであった。バイトはコンビニを四年間続けたが、得られたものといえば、レジ打ちの速さと常連客のタバコの銘柄を覚えるということくらいだろうか。

大学卒業後は、東京でITエンジニアの職につくが残業ばかりの割に安月給な労働環境に嫌気がさして6年で退職し、30を手前にして実家に戻り今はフルリモートワークをしている。また東京の馬鹿みたいな家賃も必要ないので、ある程度生活には時間的にも金銭的にも余裕はあるが、いかんせんリモートワークなので毎日に変化がない。また土日も地元に帰ってきてすぐは車でいろいろ出掛けてたりしたが東京に比べるとあまりにも画一的な個性のない田舎のチェーン店に飽きて以来、家でネットゲームやネットサーフィンをしてゴロゴロして過ごしている。彼女については、中高の同級生は既に結婚しているか、独身の人は東京に住んで仕事をしているかなので食事に誘える人もいない。彼自身とりたてて彼女や結婚する必要性も感じていないが、親からは無言のプレッシャーを感じる。なぜならつい最近、4歳下の妹が妊娠を機に結婚したからである。高卒で定職にもつかず実家に住み、アルバイトを転々としていて様子などから見下していた妹が、出来ちゃった結婚で、結婚と出産を同時に果たし、社会的ステータスを得て一気に親に認められていく様子を見て、結婚や子供を持つことは素晴らしいというステレオタイプな価値観や親のあからさまな態度にうんざりして、自分の生活のうだつのあがらなさを恨んだが、かといって自分自身なにかを変える気力もなかったし変わりたいとも思わなかった。あっという間に季節は巡り、歳を重ねていった。

彼は恋愛はアニメで充分、旅行も移動してばかりだから無駄。居酒屋は家で飲んだ方が安上がり、タバコを吸う奴は金払って病気になって上に税金を払ってくれてありがとう、オナニーなんてタダなのに金を払ってまで風俗行くやつは養分。外食なんて松屋、てんや、なか卯、マック、ケンタッキーがあれば充分。服はユニクロ、髪を切るのは1000円カット、家具はニトリ、家電は中華ブランド、映画はアマプラで事足りるし、小説はブックオフ、音楽はYouTubeSpotify、漫画は違法アップロード。彼は徹底的にコンテンツや物に対して必要以上の機能を求めなかったし、対価を支払うことを拒んだ。無料で済むものは多少の不便があっても利用した。

唯一の趣味は、YouTubeひろゆきの論破動画を見ること。Twitterで有名人の不祥事や贔屓のプロ野球チームへのアンチコメントを書き込むことであった。つまり誰かを叩くことである。誰かを叩いている時だけは、自己の優位性を感じられたし、日頃の鬱憤が晴らされるような気分になった。何か間違っているとは薄々感じながらも誰かを叩くことでしか自分の存在意義を見出せなかった。自分が惨めになればなるほどはコメントは過激になったし、コメントが過激になればなればなるほど惨めになった。悪循環でしかなかった。

ある時、画面に映る自分の表情を見たときは、それが自分の顔だとは到底思うことが出来なかった。そこには吊り上がった目をして嫌なニヤけ笑いをした表情の男性が映っていたからだ。伸びっぱなしの髭と髪、垢だらけの顔、歯垢まみれの歯、異臭を放った数日洗ってないパンツ。

自分が自分だと思えなかった。

嘘であってくれ、夢であってくれ

今日もネットをしてると、

気付かぬうちに日が暮れた。

気付かぬうちに夏は終わった。

気付かぬうちに年は暮れた。

気付かぬうちに3年が経った。

気付かないふりをしていた。

気づいたら泣いていた。

変わらない自分と変わっていく季節。

変われない自分と変わっていく他人。

明日こそ変われますようにと今日も眠りにつく。

肉体的な生存と生きることは違う。

確かに肉体の生存には衣食住は欠かせない。

しかしそれでは生きる歓びは満たせない。

自分が心惹かれる、感情を揺さぶられる文化や、趣味、他人との関わりといった本来生活に必要でないことやものこそが人を生かす理由だと思う。

無駄なことこそ無駄でない。

無駄でないことこそ無駄だ。

そもそも無駄か無駄でないか、良いか、悪いかなんて生きてるうちにわかるものか。

死んだ時にわかることだろ?